たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

砂浜に裸の足をうずめて

 

 

久しぶりの更新。

 

7月の末からひと月と半分。

twitterの使い方を変えたり、

ブログを始めたり、

ひとりで悩んだり、

助けを求めてみたりして、

自分の内側をたくさんのぞきこんで、

ひとと関わる外側の部分との連携を

四苦八苦しながら模索していた。

 

 

この8・9月、周りにはいろいろな方法で

充実した時間を過ごしている人たちがいて、

私は傍から見れば少しも進んでいない状態で、

これでいいのか(いいわけない)と焦りがないわけではない。

 

 

それでも、8月のいつだったか、

まだ今より少し日の長かったころ、

砂浜で裸足になってぼうっとしていたときに

「自分の生きたいように生きればいいんだ」

と、本当にふっと湧いてくるように実感して。

 

 

私は自分の内側をのぞき込んでいる時間が好きだし、

 

ひとりで砂浜にいって裸の足をうずめて、

暮れていく空を眺めるのが好き。

 

昼間の電車に乗ってぼうっとして少しうとうとする時間が好き。

 

季節の移り変わりを感じて胸が苦しくなる瞬間が好き。匂いが好き。

 

夜のお散歩とかいってお母さんとアイスとコーヒー牛乳を買いに行く夜が好き。

 

透明できらきらしたものが好き。

 

ひとりで都会のカレー屋さんを見つけるのが好き。

 

公園や中庭でいそいそお昼ごはんを食べるのが好き。

 

 

 

そういうひとに言うわけでもない

ささいな愛おしさがなにより大切で、

私の頭はそんなどうしようもないことばかりなんですね、どうにもこうにも。

 

こういう胸が苦しくなるような好きなことを

ひとつひとつ大切にして生きていきたいし、

それが私にとっては最優先事項ではないかと。

 

 

自分の内的充足を一番大切にする以上、

友人以上の関係になりたい相手というのは

今のところ思いあたらないし、

そういう相手がほしいとも特に思わないなと考え始めた。

 

意地でもあきらめでもなく、

フラットにそう思えるようになったのは成長だと思う。

 

ひとに聞かれた時も正直にそう答えればいいわけだから、

無駄にきもちが消耗しなくて済むし。

 

 

 

このひと月半、

私はほとんど進めなかったけど、

それでも自分の中のどうにもならない自分に

ここまでむきあってあげられたことはなかったから、

いい期間だったのかもしれない。

 

ここで全然進めなかったために、

私の心の中でつっぱっていた余計な何かがぽっきり折れたから、

新しい考えかたもすこしずつできるようになっている。

  

しんどくても、私は私にしかなれないし、

それで生きていける方法を考えようと思い始めているってことは、 

まともじゃない、まともじゃない

と繰り返していあ8月の苦しさは抜け出したみたい。

 

 

あともう一歩、

もう少しがんばれるようになっていきたいけれど、

ゆっくりいこう。