たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

言葉の話

ブログを始めて5日。

 

誰かに伝えたら少しは気持ちも変わるかと思ったけれど、

 

自分のなかに何か分裂したものを感じているだけのような気もする。

 

 

Twitterに関しても、もともとは、

 

友人用の少し楽しいことをいうためのアカウントだけ持っていた。

 

そのアカウントは好きなのだけど、

 

でもなんというか見せられる程度の卑屈さを

 

混ぜ込むにとどまっていて、

 

まあつまり一番外側の人に見せても大丈夫な部分だけ見せていた。

(ネットを介さないとそれすら難しい。) 

 

それではなんとなく寂しいような気持ちがして

 

鍵をかけてほとんど自分だけの

(といってもずっとつながってくれていた方もいるのだけれども)

 

叫びを文字にしていた。

 

人と会ったあと死ぬほどむなしいこととか。

この話はまたいずれ、そういう気持ちになった時に書くと思います。

 

 

でもこうしてアカウントを公開して、

それらしくブログなど書いてみて、

少しずつみてくださる方もいて、

 

それで結局私は

批判を避けてだめな自分を変えることもなく

愚にもつかない駄文を垂れ流す人に

なっただけな気がする。

 

しかももともと

それを避けるためにつくったアカウントで、

私は結局また「ひとにみせても大丈夫なことば」を

選びはじめようとしている。

 

 

批判されたくないけど、

自己正当化への罪悪感が消えない

 

ひとりにしてほしいけど、

ひとりになんてしてほしくない

 

 

で結局、どんな形で言葉をもてあそぶにせよ、

現実にできること、

やるべきことを、

ひとつずつやるしかないことは、

変わらないのだと思った。

 

特に、現実の補助としてのインターネットの世界に

依存を強めた今となっては、

そのことの重要性が依然にもまして意識されるようになった

 

という感じ。

 

しっかりしよう。

 

何度となく

繰り返してきた言葉だけど、仕方ない。

 

できるまで何度も言うしかない。

 

 

 

さて、言葉の話がしたかった。

 

言葉。

 

昔から国語が好きだった。

振り返っても作文で苦労したことはないなと思う。

 

(自分で言うのも難だけど、

小学生の頃はそもそも頭がよかったのです。

そしてその頃に対するコンプレックスみたいなものが

今でもあったりなかったり。

どんどん「普通」、そしてそれ以下になっていく自分というか。

優秀だったころのことを知っている人に会うと

なんだか居心地が悪かったりそうでもなかったりします。)

 

作文だけは、

中学高校でも、たまにクラスとかで紹介してもらって

いい文章書けてるんだって思えるのがうれしかったし、

なんというか自分にとっての小さな自信のよりどころだったようにも思う。

 

ただ大学に入ってからはなんとなく違った。

もちろん言葉を紡ぐことはあいかわらず好きで、

量的には割と文章を書いてきた方だと思うのだけど、

やっぱり内容を求められると粗が目立つというか。

私ほんとは頭はよくないんじゃね?ということを

突きつけられた感じだった。

 

私が得意なのは「作文」であって、

それでレポートくらいまでは対応できるのだけど、

論文となると結構厳しい。

 

書きながら思考が固まっていくプロセスは好きだし、

そこに生みの苦しみが付きまとうのが当然ということも

わかっているのだけど。

 

でもやっぱり私の文章は、

気持ちの高まった部分を掬い上げる作業というか

そんな大層なものじゃないけど、

イメージとしてはそんな感じだから

 

「この話はここがおもしろかったよ」みたいな作文とか、

ちょっとかっこつけて「社会はこうあるべきだよね」みたいなレポートは

書けるんだけど。

 

ともかくもうちょっと成長したいなとはいつも思っている。

 

 

さて、言葉についてもうひとつ。

 

こっちは特に、うまく言葉にできるかわからないけれど、

 

とりあえず書いてみる。

 

私は言葉の選び方がなんとなく人と違うらしい。

 

独特だよね、としばしば言われる。

 

それに対して私は、

言われる相手とか文脈とか言葉の響きによって

少し人と違う私(それはだれしもが持つ差異としての個性)

を認めてもらった気がしてうれしくなることも、

疎外されたような気持ちになることもある。

 

疎外されたような気持ちというのは、

うまく説明するのは難しいけれど、

とにかく自分だけピエロになったような虚しさを覚えるような感覚。

 

違うと認められたい気持ちと、

違うなんて言わないでと泣きたくなる気持ち。

でもこれはほんとに言われる相手による。

好きなひと(私はこの表現をよく使うけれど、好ましい相手は全部好きなひとです)に

言われれば嬉しいし、

苦手な人に言われればめっちゃ微妙な顔をする、という

ただそれだけのことかもしれない。

 

 

ともかく、私は私の言葉が好きだけど、

でも人に伝えるには向いてないなと思うことが

圧倒的に多い。

前々からそんな気はしていたのだけど最近特にそんな気がするな。

 

向き不向きの問題なんだろうけど、

不利だなとは思っている。

 

 

 

あとそれから歌詞についての話もしたいな。

言葉が好きなくせに歌詞はあまり聞いてないって話なんですけど。笑

それはまた今度。