たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

ひさしぶりの

ひさしぶりのブログです。

ああただいまですね。

twitterをはじめたり時々ブログを書いたり、

人生無理無理になったりしているうちに

1年あっという間に経っていたなと思う。

今の生活はかなり世間から浮遊していて、

昔から思っていたけれど私は結構簡単に世の中との結びつきを失って

ふわふわふらふらしてしまう。

うまくいかないことがあっても一人でいるときと

人に囲まれているときだったら、前者のほうが断然健康でいられる。

だって寝て動画見てぼんやりして、そのうちにおなか痛くなったりして寝るだけだからね。

なんの話しようとしたんだっけね。

そうそう、人とのつながりが大事だよという話です。

情報も入ってくるし、自分の立ち位置も明確になるしね。

でもさ、私はもういい加減ひとりでいたいわけ。

いや本当は多分誰よりも人といたいし笑っていたいけど、

もう今更わからないことだらけ。

 

こんなにも話し足りないことだらけなのに、

言うべきことが見つからない。

こんなにもやりたいことだらけなのに、

何からすべきかわからない。

 

もうとっくのとうにわからなくなっていた人生は

今となってはもう本当に本当に遠くに行ってしまった。

取り繕ってだいじょうぶな人のふりもしていたけれど、

もういいかなっていう気持ちもある。

できれば大丈夫な人だと思われたいとは思ってきたけれど。

 

必要とされたい→そのためには必要とされるための何かを身に着けるか、自分から誰かを必要とするか

でも私はこのあと「→スキルを付けるか、人を積極的に頼る」のどちらにもいけない

できないできないと言っててもダメでしょうと思ってきたわけだが、

自己完結的に生きていくしかないような気がしている最近。

私はそういう独りよがりな語りしかできない。

自分を決めつけるなと言われるかもしれないけれど、

これだけそれなりにいろいろやってみても結局なんでもつらくて、

成功の陰にあるつらさとかじゃなくて、これは多分「生きづらい」の部類。

生きづらい。

この気持ちをいつもずっと抱えているけれど、

そのことには触れないように、見ないようにして人と関わるから

一層嘘をついてる気持ちにもなるし、どこか自分はここにいるべきじゃないという気持ちになる。

こんなことになる前段階として、普通に大人数で楽しむとか、

少人数でも気楽に話すことが少し苦手ということもある。

そしてそんな自分があまり好きではなくて人と話すと悲しくなることが多いので、

なんとなく避けてしまうということがしばしばある。

そしてそんな逃げ腰の自分も嫌になるので、これまではある程度頑張ってたんだけど

今の生活は人からかなりの度合いで放っといてもらえるのでとても楽。

これからまだまだ長い人生を、何を目標に生きていけばいいんだろうね。

誰かと幸せになる未来は特に見えないし、

この生きづらさを抱えている限り誰かとパートナーになることも難しいだろうしな。

かろうじて考えられるのは、とにかく生活に集中することだと思う。

大きな目標とか持つのは苦手なので、

手順のわかることを増やしていって、生活をそれで満たして、

つましく生きていくことだと思う。

それが今のところ考えられる一番幸せな生活だね。

みんなそんなものか。

生活をちゃんとまわすことができなくなるのは、

「もっとするべきことがあるんじゃないか」という謎の焦燥に駆られるからであって、

生活をまわすことをれっきとした目標として掲げれば、

そのために頭と体を使うことへの抵抗は減る気がする。

 

なんでもいいなぁ、ほんとうに