ほそくというだそく
昨日ふと思いついて、やってみます。
つぶやきのほそく。
補足というか、
つぶやきはどれもそれ自体で完結しているんだけど、
その周辺のお話をもう少ししてみたいなと常々思っていたので書いてみます。
とりあえず昨日と今日のツイートから抜粋して。
もうお風呂に入っちゃったのでだいぶ余裕を感じております。ただし本当は何もだいじょうぶじゃないです。
「お風呂に入らなきゃ」
と言ってうだうだする時間も無駄だし、
「今日はもうお風呂に入っちゃったから私の勝ち」
と言ってごろごろする時間ももったいないです。
結局お風呂の勝ち。私の負け。
そんな私は貴重な貴重な日曜日をどろどろに溶かして、
何もしないで過ごしてしまいました。
救いようのない哀れな生き物だと思います。
私は自分で思ってる以上にtwitterが好きですね。人のつぶやきを見るのも、独り言を言うのも。
実際にお話しする人にもよく聞き取れないと言われるし、
私はきっと独り言に向いてるのだと思う。
人と話すときはよく話題を探しておろおろしてしまうけど、
twitterではいくらでも言いたいことあるし、
そこで話す内容は「つらい」の吐露も含めて、
極めて「わたし」という感じがする。
昨日おめでとうの気持ちを込めて男の子と強めのハイタッチをしたのですが、なんとなく伝わりきらなかった感じがして2度3度と回数を重ねてしまい、今思うとなんだかちょっとえっちでしたね。
こういうこと言うの自分でも蛇足の最たるものだと思うのだけど、
実は結構気に入ってるツイート。
だってちょっとえっちじゃないですか?
ハイタッチってことはなんとなく1回じゃ物足りなかったの
私だけじゃなくて相手もなんですよ。
別に好きな相手とかそういう話ではないのだけど、
お互いに物足りなくて、
そのことがお互いにわかって、
何度か行為を繰り返す
っていう状況そのものがちょっとえっちですよねって
そういう話です。
どこにも居場所がないのはたぶん自分のせいだ ってツイートしかけて、そんなこと言うのはなんか悲しすぎるからやめた
居場所をつくるのがへた。
一方にいるときは他方の居心地のよさを思い、
次の場所、そのまた次の場所でも同じことを繰り返して、
いつまでも「ここじゃないどこか」に帰ろうとしてる。
ほんとに不思議なんですけど、先輩後輩の代はすごく仲がよかったり、雨降って地固まったりしてるのに、私の代はなんとなく可もなく不可もなく上辺の付き合いに終始するの、ほんとになんなんですか??私がなにか悪い気でも出してるんですか???
これに似たことは本当にずっと思っているし、
私の人生が変奏曲だとしたら、
少しずつ形を変えながら
何度も何度も繰り返される主題みたいな感じ。
大好きだった学内の合唱大会で私が係をやった年はなんとなく団結しないとか、
ひとつ上の期はひとりひとりのキャラが濃くてすごく仲がいいのに
私の同期は空中分解しちゃってるとか、
ひとつ下の期は心配されながらも全国レベルの成績を残したのに
私のときは燃え上がりきらずにそのままじわっと敗退しちゃったとか、
とにかく私は自分がいる組織のなかで
「なんとか終わったね、やれやれ」となって自然解散になることが常で、
「喧嘩もしたけどみんなと頑張れてよかった最高!一生ともだち!!」
みたいになったことがない。
こうして挙げてみると『熱い体験を通して一生ものの友人がほしい』
というだけの願いごとに聞こえてしまうかもしれないけれど、
それは少し違う。
ただその違いを今はまだうまく言葉に表せないから、
これからも時々考えてみようと思う。
ともかく私にとっては、こうしたことのひとつひとつが積み重なって、
具体的な人生らしきものにいつまでも参加できない感じがする要因になっているんですね。
それだけは言える。
こういう疎外の感覚って誰にとっても普通のことなのかな。
あるいは、自分の寂しさやだめさを周囲に投影しているだけで、
私のなかの卑屈さのあらわれにすぎないのかしら。
なんとなく後者が強い気がするな。
さて、補足という名の蛇足でした。
上にも引用したように私はtwitterが好きで、
自分の思ったことを繰り返しこねくり回して眺めることが好きなので、
また補足の記事は書くと思います。
では。