たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

「自分の人生に責任を持つ限り、私は自由だ」

しんどい時期が続いていた。
 
 
何もしていないのにつらくて、
何もしていないことがつらくて。
 
 
大好きなひとたちに会っても
自分が嘘みたいな感じがして。
 
とにかく人に会う時はなんとか大丈夫な自分みたいにして、
話しかけられたときだけ嘘の大丈夫を演じていた。
(そんなだから自分から話しかける気力はほとんどなかった。)
 

友達と会うだけなら元気にしてられるけど、
困難なことがあると
逃げたくて、そんなことしていいわけなくて、途方に暮れていた。
 
 
 
そんなこんなで、どうしていいかわからずしんどい時期を過ごしておりましたが、
大丈夫な気持ちがやってきました。
 
 
これは実のところ
rainさん(rain (@0incook) | Twitter)のこの記事のお陰で。

「ああそうだ、私もこんな風に
自分の人生を手に入れたかったんだ」って、
人生を手に入れることにわくわくする気持ちを思い出した。
 
 
 
私は
ちゃんと暮らせないし、
 
部屋も片づけられないし、
 
料理もできないし、
 
めりはりをつけて働けないし、
 
行動力を発揮して思い切りよく遊びにも行けない。
 
 
 
 
けど、
 
私もいつかそうやって

なりたい自分になって、
 
自分の人生を生きたい。
 
(そんなこと言ってるうちはきっと独身だろうけどね。)
 
 
 
 
で、いまとてもポジティブなので、
こんなことを思っている。
 

「自分の人生に責任を持つ限り、私は自由だ」
 

うっかり忘れてた、そんなこと。
 
 
 
 
 
家族とドライブしたり、

人生の中でもトップクラスに私を受け入れてくれている人たちと過ごしたり、
 
ひとりで夜の動物園にいったり
 
続けてそういうことがあったから、

少し私も、人生って楽しいことがあるなって感覚を思い出したのもあると思う。
 
 

今は全然だめだけど、

私はいつか大丈夫になりたいし、
 
いつか自分にとっての「よい暮らし」を
 
ちゃんと送りたい。
 
 
 
「いつかちゃんと暮らす」なんて

こんなことを目標にしているひと私の周りにはいないけど、
 
まあそれはいいよ、考えても仕方ない。
 
 
 
だから、とにかく、大丈夫。
ようやく”薄い膜で覆われた自分”みたいな感覚を抜け出した。

正常な判断をして、
よりよい行動ができる私にようやく戻ってきた。
 
(情報収集能力は相変わらず低いから、
その判断が正しいかは別問題だけど、
だめな時は、情報があったところで
正しいとわかっていることにさえ動きだせない。)
 
 
 
 
ということで、
 
大丈夫になろうね、みんなで。
 
 
 
 
 
おまけ:
私は意外と運転するのが好きみたい。
教習所に通っていたときは
下手なことするたびに嫌味言われて
泣くほどつらかったけど、
いまは、運転したあとはなんとなく、
手に残るハンドルの感触のなかに、大丈夫の感覚が残っている感じがする。