たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

生きる話

きょうは、

むかしのバイト先で出会った女の子たちの話。

「生きてる」人たちの話。

 

 

あのお店で働かなければ出会わなかった子たち。 

すごく仲良くなったというわけではなかったけれど、

私は彼女たちのことが好きだったし、

今後の人生のなかでも、折に触れて思い出すと思う。

 

 

 

それにしても。 

あのお店でのバイトは私には結構難しかった。

 

次から次にくるお客さん。

扱う金額は食品にしては高めだったし、

覚えることも多かったから、

 

それまでのんびりした職場しか知らなかった私は、 

今思い出しても、うまくいかないことばっかりで、

失敗したら落ち込むし

失敗しなくてもしたらどうしようって

毎回毎回悩んでたな。

 

 

 

で、同期の女の子たちの話。

 

まずはひとりめ。

たとえば学歴でいったら、

私のほうが「勉強ができる」のかもしれなかったけど、

どう考えても彼女の方が「賢かった」。

 

言われたことすぐ忘れたりしなかったし、 

手際いいし、

周りがみえてるし、

はきはきしてるし、

手順の考え方に無駄がないし、

店長ともパートのおばさんとも距離の取り方がとっても上手だった。

 

 

あげたらきりがないけど、

「あーこれが生きるってことだなぁ」

といつも思っていた。

 

あんな風になれるとは思わなかったけど、うらやましかったな。

私はいつも(そういうつもりはなくても)ぼやぼやしていて、

具体的に頭を使って生きることが下手だなぁって

そのことをずっと、これまでもこれからも悩み続けると思う。

 

 

 

それから。

 もうひとりのこともすごく好きだった。

ほんとに、笑っちゃうくらいおしゃべりで。

 

私はつい真面目な話し方をしてしまって、

相手に楽しんでもらえてない感じがして

そのことをよく悩む。

 

でも彼女は勝手に(親しみをこめて言ってるけど)

いっぱいしゃべってくれるから、

そういう居心地の悪さをまったく感じさせなくて

ありがたさと、なにか特別な愛おしさを覚えたものだった。

 

 

 

私が「生きたい」とか「大丈夫」になりたいと言う時、

彼女たちのように具体的に生きたいという気持ちで

言っていることが多い。

 

具体的になりたいな。

でも具体的な人たちは、

具体的になりたいなんて思わないのよね。

これも「ほんもの」の話に続く意識だなぁ。

あぁ。