たすかり体操 第一

ひとりにして、ひとりにしないで

好きだよ、ホンモノ。愛と憎。その2

今日は割と心が生きているので、

 

切羽詰まった話をしてしまおうと思う。

 

私がこれまでもこれからも、ずっとほんものにはなれない話。

 

 

いつからか忘れてしまったけど、

私の意識の中には

自分は「ほんもの」ではないっていう意識がある。

 

だましだまし生きているというか。

 

ほんとはまともでもなんでもないというか。

 

肥大した自意識への二重の恥ずかしさというか。

 

能力や愛嬌どれをとっても残念というか。

 

 

逆に私は、「この人はほんものだ」と思っている人が一定数いて、

(MくんやKさんやKさんやYさんやOさん その他多数)

 

そういう人の前に出ると本当に恥ずかしくなってしまう。

 

私が偽物なの、ばれちゃうって。

 

そんな気がしてしまう。

 

それだけならまだいいけど、

話したあとちょっと落ち込んだりする。

 

 

 

私のこの“偽物”意識は一体どこからくるんだろう。

 

格好悪い私を一番しっているのが私だからなのか、

 

それとも客観的に見ても私はださださ人間なのか。

 

卑屈だから、

相手はきっと私のことを「偽物がいきってる」と

思ってるに違いないと被害妄想に陥って

ますますうまく話せないこともある。

 

久しぶりに会っても今だに

まともに話せない相手がいる。

 

 

相手がどう思おうと

私は私だし、

それに多分そんな卑屈な気持ちを抱いていない方が

人間関係は3万倍うまくいく。

 

はずだけどね。

理論上。(笑)

 

 

 

偽物とかほんものとかわかりにくいこといってるけど、

これは詰まるところ「ばかだと思われたくない」

「有能な人に認められたい、残念に思われたくない」

って気持ちがあるのかもしれないと、

今書いていてふと思った。

 

 

となると私は心の中で、

下に見る相手を作って「ああいうやつにはなりたくない」と思ってみたり、

逆に上にそういう相手を作って「あんなふうになりたい」と思ってみたり。

一見別物のようでいて、同一の、

ある種の権威主義にも似た構造を心の中に持っているのかもしれない。

 

いやきっとそうだ。

 

やんなっちゃうな。

 

そういうところがもうすでに偽物じゃん。

 

 はい。

 

結局南極、この問題、保留。

by スチャダラパー南極物語

 

私もほんとに運動不足なのかもしれない。

 

出会ったのはつい最近だけど、人生に響く出会いをした曲。

MC BOSEの声、落語を聞いてるみたいで心底心地よいし、

アニさんの醸し出す味わいが何とも言えない。

秀逸なリリック。

HIP HOP初心者なのであとのことはよくわからないけど、

とにかくアジカンに出会った時の血沸き肉躍る感じを

久しぶりに味わったのでした。

 

もっとつらさが切羽詰まってる時の文章のほうが

おもしろいかもしれないけど、

今日はこんなところで。

 

 


南極物語